今の社会を生きる意味

「フランクルに学ぶ」(斉藤啓一著)という本に次のような一節があります。

 

(ヴィクトール・フランクルと)同じアウシュビッツの体験を持つノーベル平和賞作家エリ・ウィーゼルは、その自伝「夜」において、いくつかの重要な手掛かりを暗示している。

 父と収容所生活を送っていた、当時15歳だったウィーセルは、病気になった父を足手まといに感じた自分を恥じながらも、親衛隊の軍医が語った言葉に心を動揺させてしまったことを告白する。「ここでは、誰もが自分のことだけを考えなければならないんだ。他人のことなんか考えては生きていけないんだよ。君は、お父さんに配給された食料まで食べてしまうべきなんだ」。ところがウィーセルは、輸送貨車の中で、わずかなパンのかけらを奪って殺し合いを始めた別の親子を目撃したのである。悲しい修羅場が展開され、後に残されたのは、父と子の二つの死体であったという。(中略)

 一方でバラックの秩序維持責任者で、同じ囚人の若いポーランド人はこう語ったそうである。「同志諸君、長い苦難の道が待ち受けています。しかし、勇気をなくさないでください。力を寄せ集めて希望をなくさないでください。生命を信頼してください。(中略)お互いに助け合ってください。これこそ、生きのびるための唯一の手段なのです」。

 

 もちろん現代社会と、アウシュビッツの世界が同じわけではありませんが、昨今のコロナ騒動と、その後に待ち受けているであろう世界経済の総崩れを考えた時に、この二つの逸話は単なる道徳論を超えた思慮深いメッセージを私たちに与えてくれています。経済の崩壊過程の中では、これまでのような「お手軽にちょっとそこで」、といった物資調達は難しくなるでしょう。人々が小さなコミュニティーを形成し、つながり、個々の役割を果たし、物資やサービスを交換し、分かち合うことでしか生き延びられない時代。しかし、それだけではありません。精神科医ヴィクトール・フランクルの説いたロゴセラピーのアイディアによれば、「他者の利益のために自分の能力が生かされることでロゴス(生きる意味)を見出し、過酷な状況下でも生き抜ける生命力と叡智が沸き上がる」という意味でも。

 コロナによる社会の分断や孤立が意図されたものかどうかは別として、本当は人々がつながり、支え合うことが、今ほど求められる時代はないのではないでしょうか。