懐かしい未来「盲亀浮木」

志賀直哉の小説に、「盲亀浮木(もうきふぼく)」という短編がある。題名は法華経の寓話に由来しており、「大海中に住み、百年に一度水面に出てくる目の見えない亀が、ようやく浮木に逢い、1つしかない穴の所から首を出したという、あり得べからざる事の実現する寓話」である。

短編の中には、この寓話を思わせる3つの体験が記されているのだが、その中の1つが、東京に引っ越した直後に行方知らずになってしまった愛犬クマにまつわる話だ。クマの失踪によって気の晴れない日々が続いたが、1週間後、たまたま乗ったバスが江戸川橋の十字路を渡るところで、車窓からクマを発見し、連れ戻すことができたという。そしてこの偶然について、こんな計算が試みられている。「1日が八万六千四百秒、1週間は六十万四千八百秒。それを私達がクマの発見に費やした三秒で割ってみると二十万千六百。つまりそれは二十万千六百分の一のチャンスだったわけである。」志賀直哉は、メーテルリングの言う「運命の善意」という言葉を引用しつつ、「仮に偶然だとしてもただ偶然だけではなく、それに何かの力が加わったものである事は確かだと思うのだ。」と結んでいる。

その「何か」が、何であるかはさておき、人間の意識が「自我意識」(エゴ)から「普遍意識」へ移行するに従い、人間関係の中に共時性が発生しやすくなる、と言われている。これまで経験したことのないような過酷な社会現象が起こる中、「普遍意識」が呼び覚まされる個々の体験と成長を通して、人間関係においても、動物との関わりにおいても、運命そのものにおいても、共時性が当たり前の時代が来るのかもしれない。

 

普遍意識:一番深いところでは、個々人の意識や自然界に存在する意識は、1つの意識に繋がっている。それを普遍意識という。ワンネスと呼ばれることもある。

 

 

共時性:ユング心理学におけるシンクロニシティの訳語。