懐かしい未来 ー陰陽五行にみる「玄冬」ー

 年末年始の日本列島に寒波が訪れ、暫く居座った。「玄冬」の響きがよく似合う冬である。朱夏、白秋、青春と比して、あまり耳にすることのない「玄冬」だが、「玄」は黒の中でも漆黒の黒を表し、まさに「陰極まれり」の意味合いがあるのだ。

 

ところで五行の中の玄冬は、現在の暦で言えば、ほぼ11月から1月までを指し、現代人の季節感から概ねひと月ほど早いことに気付く。さらに面白いのは、冬至を含む現在の12月(旧暦の11月)は、「一陽来復」の月とされ、八卦においては既に陽の1本が加えられているのだ。古来日本人は、自然の中に漂う気配を感じながら生きてきた。冬晴れの日射しの中に、ほのかな春の気配を感じる、といった風に。「陰中の陽」・「陽中の陰」の力で流転する陰陽五行的宇宙観は、日本人の感性と矛盾せず、自然に受け入れられた、ということであろうか。

 

さらに、この万物を貫く宇宙の原理は、個々の人生の周期にも当てはめて考えられていった。個人的なことで恐縮だが、神社暦の「八方塞がり」(季節で言えば冬至にあたる)が明けた2014年、苦境の年がようやく明けるのかと思ったその年に、私はうつ病を発症し、ほとんど身動きが取れない状況に陥ってしまった。当時は、さらなる八方塞がりがやってきたのかと失望したものだが、今になって人生を俯瞰してみると、そこから人生の転機が訪れて今があることに気付く。再び人生の「玄冬」が訪れたとしても、その中に「一陽来復」があることを、今は信じてみたい。