2023/07/24
 今思えば恥ずかしい話だが、盲学校に赴任して10年ほど経った頃、生徒たちにチェロの音色を聞かせたいと思い、群響のチェリストの先生からチェロを習っていた時期がある。結局は物にならず、生徒たちは陰で「ギゴガゴギゴガゴ」と、僕のチェロの音色を擬音化して面白がった。涙ぐましい僕の努力は、生徒たちの心を癒すどころか、自分自身の神経にも多大なるストレスを残すだけで、終わった。  ところで、チェロを習ったことのある方ならご存じだと思うが、今弾いている弦とは違う弦が、共鳴して鳴ることがある。音合わせもできて、先生がある音階を鳴らすと、僕のチェロのある音階が勝手に共振・共鳴して綺麗な音を出す。自分の弓で弾くよりも、神秘的で美しく、その音を時々思い出す。  音響治療で有名なミッチェル・ゲイナー医学博士は、次のように述べている。「音響同調は、ある物体のリズミカルな振動が、同様の周波数を持つ第2の物体に放射されると、第2の物体が第1の物体に共鳴して振動するプロセスのことだ。(中略)音響同調が私たちに感情的な影響を与え、それによって細胞レベルの影響が生じる可能性がある」。彼によれば、チェロと同様に、人間の身体も共振・共鳴によって脈打ち、機能しているのだという。生体内に不協和音が生ずれば、細胞はダメージを受け、病気になるというわけだ。  私たち自身の身体が音を奏でている楽器のようなものだ、と考えるのは、面白くもあり、恐ろしくもある。怒りの感情が生じれば、生体内に不協和音が生じるばかりではなく、周囲の人々の身体(楽器)にダメージを与えることになるのだから。シュタイナーは、人間には物理的に感じられる感覚器の他に、霊的な感覚器が実際に存在すると述べている。五感が使われなければ退化するように、霊的にまどろんでいる現代人には、容易に機能しない感覚器、ということになるだろうか。 唐突だが、縄文の人々はシュタイナーが言うところの感覚器を、五感と同じように働かせて生きていたのではないか、と思う。1万4千年間戦争が起こらなかった驚異の歴史は、最終的にはそこに生きた人々の心の状態に起因する。周囲の人々の思考や感情を以心伝心で読み解く霊的な感覚器があれば、憎しみ・嫌悪・不信の感情の破壊力を、当たり前のように認識できたはずだ。思うだけなら許される、などとは決して考えなかっただろうし、感情を理性で抑える必要もなく、ごくごく自然に、宇宙や大自然と調和して生きていたのではないか。  幸いなことに、私達日本人には、10%から50%(諸説あり)の縄文人のDNAが今なお存在しているという。いびつに歪む日本社会だが、まだ間に合うかもしれない。チェロの演奏には失敗したが、せめて自分の身体から発せられる音色が少しはましになるように、見えない世界に思いを馳せてみたい、と思う。    
2023/05/16
盲学校に勤務をしていると、長い付き合いになる卒業生もいる。全盲のA子さんもそのひとりで、私が彼女の担任をしてから二十年来の付き合いがある。数年前、彼女が久々に前橋に戻ってきた時のことだ。年頃なのに彼氏がいないので少し心配になり、「どんな男性が好みなの?」と聞いてみた。しばらく考えてから、「そうですね。声ですかね。」という答えが返ってきた。意表をつかれた答えだったが、同時に、なるほど、とも思ったものだ。 振り返って思えば、盲学校の生徒たちは、人の良し悪しを声で見定めることがしばしばあったし、教員の年齢なども、声で想像していたようだった。だから時々大きな誤解をする。五十代の教員を二十代だと思ってみたり、その逆もあるわけだ。それだから時々、本当の年齢が分かってガッカリしたり、大笑いをすることもある。そのまま生徒を騙し続けて、若く思われようとする教員もいたりする。 二十代に間違われていた教員は、声が美しい。そしてどこかしら心持ちも、少女のような方だったりもする。だから彼らは、確かに大きな誤解をしていたわけであるが、別の意味では、その人の心持ちの若さを言い当てていた、とも言えるのだ。 私たちが、その時々の自分自身の声の調子を考えてみても、合点がいくことがないだろうか。近頃私は毎朝仏壇に向かい、般若心経を唱えるようになった。神仏に向かうと同時に、自分自身に向かう時でもある。否応なく気付くことだが、心身が整った時とそうでない時の自分の声が、違っているのだ。声が荒れて透明感のない時、その理由を探ると思い当たることがあって、恥じ入ることがある。声は心の有り様を映す、鏡のようなものなのかもしれない。「声色」という言葉は、「声」を「色」と捉えることで、そのことを言い当てているようにも思えてくる。透明な色、くすんだ色、濁った色があるように、声にも、その源にある心にも、同じような性質があるからだ。声を大事にしたい、と思う。 その後A子さんは結婚し、東京で一児を設けて幸せに暮らしている。結婚した男性は、盲学校の先輩で、大学ではコーラス部に所属していたそうだ。結婚式では、大学時代の仲間たちと、アカペラを披露してくれた。美しい声だった。

2023/04/15
 盲学校の教員になって間もない頃、こんなことがあった。全盲の男子クラスに自習監督に行った時のことだ。びっくりさせてやろうと黙って教室に入っていくと、「あれれ?先生、今日は自習監督ですか?」と。  ...
2023/02/24
 視覚障害者の教育・福祉に携わっていると、外部の方から次のような感想をもらうことがある。「見えない方々の聴覚は凄いですね!」、「視覚の代わりに別の能力が与えられているんですね!」といったものだ。盲学校には絶対音感を持っている生徒がしばしば出現すること等を考えると、そうした感想もある意味もっともだ。...

2022/10/22
現代社会の様相を経済・社会的側面から静観してみよう。世の中は益々視覚情報過多の社会に向かっている。それは恐らく、我々が暮らすグローバル資本主義社会の進化のスピードに比例している。視覚が需要を喚起し、より広範な統一市場を可能にする。デジタル社会の恩恵は、私も含めて多くの人が享受しているし、視覚に障害のある方々の生活も大変快適に安全になっているのは事実であり、喜ばしいことである。しかし一方で、「グローバル資本主義」という巨大なエネルギーが志向するその先に、何があるのかも考えておかねばなるまい。 国際ジャーナリストの堤未果氏は、「グローバル教育を拡散させるため、2000年から3年毎に行っている学習達成度調査など、OECDがこの間ずっと進めてきたのは、教育の画一化と市場化だ。この間、グローバル企業群や世界銀行と共に、アフリカのような途上国をはじめ、世界各地に教育ビジネスを展開してきたことも、パンデミックを機に各国の教育のデジタル化を急がすレポートも、実は同じ線上につながっているのだ。」と述べ、デジタル教育の裏側を描写すると共に、巨大な絵図の中で全てが繋がる、緻密に計画された何らかの意図を示唆しようとしている。  ここではデジタル教育の価値を認めつつも、その対局にある触察教育の重要性を強調したい。連載の中で述べたことだが、情報が溢れる現代社会に必要な直観力は、皮膚感覚と深く繋がる能力であることを想起すべきだと思うのである。自然界に触れる機会が遠のくばかりか、身体の中で最も感度の高い顔面の皮膚をマスクで覆い、殺菌消毒しない物には容易に触れられず、指サックをして鍼を刺さなければならない現在の教育環境のリスクを、どこかで危惧する感性を持ち続けたい、というのが私の切なる願いである。
2022/09/27
文字通り「皮膚感覚の不思議」という本がある。著者は、桜美林大学心理・教育学系教授の山口創氏。そこには、こんな一節がある。...

2022/09/03
盲学校の教員時代に、ちょっと不思議なことがあった。ある時期、先天盲で重度の重複障害をもつ生徒の歩行訓練を任されていた。歩かないと筋肉が弱くなって歩けなくなる恐れがあったからだ。体育館の入り口付近からステージに向かって歩かせるのだが、決まってステージから10cmほど手前でピタッと立ち止まる。...
2022/08/03
よく視覚障害教育の研修会などで、「視覚を失うことによって、人間が獲得する全情報量の概ね90%が失われる」といった趣旨のことが話されている。著名な眼科医の著作の中にも、「このことは歴然たる科学的事実」とある。しかし興味深いのは、今から30年ほど前の専門書の中には「概ね60%が失われる」と書いてあるのだ。「視覚からの情報が全情報の概ね90%」というのは、人間の身体機能を考慮した時の普遍的事実ではない、ということだろうか。私見だが、人間の欲望を刺激するコマーシャリズムの進展と、視覚情報への傾倒との関連性が読み取れるように思う。欲望を刺激する圧倒的な視覚情報によって、目まぐるしく回転する資本主義の渦の中に巻き込まれているのが、我々現代人の姿なのかもしれない。 太古の昔を想像してみてほしい。森羅万象に囲まれた古代人たちは、どれだけ皮膚感覚を頼りにして生きていたかを。身に迫る危険も全身の皮膚感覚で察知していただろうし、種々の食物の効能も、磐座や建造物を建てるべき場所も、次元を超えた世界との交流でさえも、皮膚感覚に繋がるある種の直感力で的確に捉えていたに違いない。  ところで、人間の身体に張り巡らされた経穴(ツボ)は、WHOが認めるだけでも361。実際にはもっと多いと聞く。経穴とは、目には見えない「氣」とよばれる根本エネルギーの通り道を指す。  それでは、古代中国の先覚者は、どのようにしてそれらの位置を読み取ったのであろうか。私の見方は、「皮膚感覚的に見えていた」である(次回に続く)。

2022/07/05
盲学校の教員時代、私は触察教材の試作品ができると、必ず真っ先に見えない方に触れてもらうことにしていた。前橋工科大学との合同研究で「globe in...
2022/05/24
 先日、私の甥が興味深い本を紹介してくれた。料理研究家の白崎裕子さんの著書「必要最小限のレシピ」という本である。...

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