見えない世界に思うこと「皮膚感覚の不思議」②

よく視覚障害教育の研修会などで、「視覚を失うことによって、人間が獲得する全情報量の概ね90%が失われる」といった趣旨のことが話されている。著名な眼科医の著作の中にも、「このことは歴然たる科学的事実」とある。しかし興味深いのは、今から30年ほど前の専門書の中には「概ね60%が失われる」と書いてあるのだ。「視覚からの情報が全情報の概ね90%」というのは、人間の身体機能を考慮した時の普遍的事実ではない、ということだろうか。私見だが、人間の欲望を刺激するコマーシャリズムの進展と、視覚情報への傾倒との関連性が読み取れるように思う。欲望を刺激する圧倒的な視覚情報によって、目まぐるしく回転する資本主義の渦の中に巻き込まれているのが、我々現代人の姿なのかもしれない。

太古の昔を想像してみてほしい。森羅万象に囲まれた古代人たちは、どれだけ皮膚感覚を頼りにして生きていたかを。身に迫る危険も全身の皮膚感覚で察知していただろうし、種々の食物の効能も、磐座や建造物を建てるべき場所も、次元を超えた世界との交流でさえも、皮膚感覚に繋がるある種の直感力で的確に捉えていたに違いない。

  ところで、人間の身体に張り巡らされた経穴(ツボ)は、WHOが認めるだけでも361。実際にはもっと多いと聞く。経穴とは、目には見えない「氣」とよばれる根本エネルギーの通り道を指す。

 それでは、古代中国の先覚者は、どのようにしてそれらの位置を読み取ったのであろうか。私の見方は、「皮膚感覚的に見えていた」である(次回に続く)。