見えない世界に思うこと「皮膚感覚の不思議」③

盲学校の教員時代に、ちょっと不思議なことがあった。ある時期、先天盲で重度の重複障害をもつ生徒の歩行訓練を任されていた。歩かないと筋肉が弱くなって歩けなくなる恐れがあったからだ。体育館の入り口付近からステージに向かって歩かせるのだが、決まってステージから10cmほど手前でピタッと立ち止まる。

当初は、危険のないように言葉で知らせていたが、その必要は全くなかったのだ。光覚すらない子が、なぜ正確に止まることができるのか。仲間の教員の間でも話題になったが、答えは分からずじまいだった。

数年後、傳田光洋さん(資生堂主任研究員)の著作「第3の脳」(皮膚から考える命、こころ、世界)を読んだ時のことだ。その中に、明治鍼灸大学(現在の明治国際医療大学)の矢野忠博士の経験談が載せられており、その内容に驚いた。そのまま引用してみたい。

 

「矢野博士はかつて、視覚障害者のための学校に勤務されていました。着任されて驚いたのは、視覚がまったくないはずの生徒たちが、運動会の競技をしていたときのことだそうです。短距離走や走り幅跳びでは、コースから外れることなく、まっすぐに走る。踏み台を正確に蹴って飛ぶ。それは驚異的な光景というしかあるません。(中略)あるとき、選手たちにハチマキをさせた。その途端、たちまち選手たちはコースから外れスピードも出ず、競技そのものができなくなってしまった。博士が彼らに聞くと、うまく説明できないが、額、つまりおでこでモノを『見て』いるので、ハチマキされると『見えなくなって』困るというのだそうです。」

 

 傳田氏は、皮膚、とりわけ顔の表皮には、紫外線だけではなく可視光を「感じる」システムがあるという仮説を立てている。詳細な説明は避けるが、「皮膚が色を区別する、正確に言えば、波長の異なる光(電磁波)が、それぞれ異なった作用を及ぼすことが明らかになった今、これらの現象を科学の対象とする時期が来たのではないか。」と結んでいる。

私が盲学校教員時代に受け持った生徒についても、「反響音の感知」(言うまでもなく皮膚は、耳が感知できない音も感知する)というのが一般的な解釈だが、体育館のフロアとステージ、そしてその奥の体育館の壁面の構造を考えると、それだけでは無理がある。あの子も、顔面の皮膚で何かを識別していたのだろうか。ヨーガでいう額のチャクラ(第3の目)や、如来や菩薩の眉間にある「白毫」などが思い出されて、実に興味深い。

 

盲学校に在籍する生徒が、全てこのような感覚を持っているわけではありません。先天盲の生徒の中に、そういう生徒もいる、ということでご理解ください。

※傳田氏が文中の仮説を立てたのは、人間の肌が赤外線(暖かさ)と紫外線(日焼け)に反応するのに、その間の可視光には反応していないというのは、生物学的に不自然だと考えたからだそうです。