見えない世界に思うこと「皮膚感覚の不思議」⑤(最終回)

現代社会の様相を経済・社会的側面から静観してみよう。世の中は益々視覚情報過多の社会に向かっている。それは恐らく、我々が暮らすグローバル資本主義社会の進化のスピードに比例している。視覚が需要を喚起し、より広範な統一市場を可能にする。デジタル社会の恩恵は、私も含めて多くの人が享受しているし、視覚に障害のある方々の生活も大変快適に安全になっているのは事実であり、喜ばしいことである。しかし一方で、「グローバル資本主義」という巨大なエネルギーが志向するその先に、何があるのかも考えておかねばなるまい。

国際ジャーナリストの堤未果氏は、「グローバル教育を拡散させるため、2000年から3年毎に行っている学習達成度調査など、OECDがこの間ずっと進めてきたのは、教育の画一化と市場化だ。この間、グローバル企業群や世界銀行と共に、アフリカのような途上国をはじめ、世界各地に教育ビジネスを展開してきたことも、パンデミックを機に各国の教育のデジタル化を急がすレポートも、実は同じ線上につながっているのだ。」と述べ、デジタル教育の裏側を描写すると共に、巨大な絵図の中で全てが繋がる、緻密に計画された何らかの意図を示唆しようとしている。

 

 ここではデジタル教育の価値を認めつつも、その対局にある触察教育の重要性を強調したい。連載の中で述べたことだが、情報が溢れる現代社会に必要な直観力は、皮膚感覚と深く繋がる能力であることを想起すべきだと思うのである。自然界に触れる機会が遠のくばかりか、身体の中で最も感度の高い顔面の皮膚をマスクで覆い、殺菌消毒しない物には容易に触れられず、指サックをして鍼を刺さなければならない現在の教育環境のリスクを、どこかで危惧する感性を持ち続けたい、というのが私の切なる願いである。